序章

日本の民俗文化は、しばし ば神との共存で語られる。日常生活(褻)のなかに、非日常性(晴)を見出す祭儀においても、神を迎え、送り出す精神が広く説かれている。ただし、簡単に神 とは言えども、その属性は一言で表し得るものでもない。南島・竹富島の種取祭で顕著なように、豊作や富を与える福の神がいれば、また、疫病退散の道饗祭で 祟りをなす悪神もいた。それぞれ大衆の生活に根を下ろし、多様な種類と形態で機能してきたのだった。

前者の説明には、他界や異郷から幸福をもたらす他者の来訪、客人信仰などがある。後者の説明では、御霊信仰がそ のひとつに挙げられよう。御霊信仰と言えば、菅原道真や平将門への鎮魂信仰も思い浮かぶが、その根底には戦慄や恐怖の感覚があったはず。今日的な大衆文学 にとってもその役割は大きい (1)鈴木光司著『リング』『らせん』のような現在話題のエンターテイメント大衆文学には、ウィルスの最新知識 とともに、怨念の持続をめぐる古くからの民俗的イメージがうまく組み合わされ、新鮮な戦慄の感覚が創出されている。同様に、京極夏彦の作品になると、いっ けん戦後の社会構造を舞台にした推理小説の体裁を整えながらも、より直接的な形で、民俗学なかんずく陰陽道が扱ってきた対象をリアルに再現している。ちな みに私がその影響を調査したところ、京都・晴明神社の神官から次のような話を聞けた。「つい二十年前までだれにも陰陽道ということすら知られていなかった のに、メディアに乗っかって知れ、がらりと参拝者の数も層も変わった。よく来るのが京極夏彦の愛読者で、それに関連して参拝する二十歳前後の女性参拝者が 今は多い」ということだった。古い宗教の破片や断片は、戦慄や恐怖の感覚を生み出すために、現代の大衆文学にとって重要な役割を果たしている。 が、より祟り神の働きを積極的に考えれば、人々に自然への畏怖観念を深めていたとも言えるだろう。古くは、地震や流行 病、飢饉などの天変地異にさいなまれた人々が、悪神の祟りを回避すべく、多くの禁忌を誕生させている。今なおその形は四十二歳の厄年や、建築時に吉方角を 選ぶ習俗などになごりがある。

続き

このような土着の祟り神は、発生以来長く近世まで暦の中を遊行し、意識の上で民衆の行動を抑制していった。人々 はその俗悪な禁忌を、金神と呼んだ。金神とは、「神道でもなく、仏教や儒教でもなく、日本人が昔から持ってゐた生活上に於ける陰陽道の祟避様式の変化だ」 と、折口信夫は述べている (2)折口信夫「神道宗教化の意義」『折口信夫全集 20』中央公論社、一九九六年、二九五頁。 。かねてから文化論の対象であった狭義の神道 (3)上田正昭氏によれば、「日本の神道は神を絶対化し、神を人間とは断続した存在と認識する宗教ではなかっ た。原罪の観念にもとづく内面的な宗教倫理や戒律を形成した宗教でもなかった。家と共同体の生活を基盤とし、血縁的・地縁的な神々を信仰して、しかも神々 と人間が連続する神人合一の観念の内実化を深めたのが神道であった」と説かれている。(『神道と東アジアの世界』徳間書店、一九九六年、三十五頁) とは、無関係に位置づけられた祟り神の金神。その金神が、いかにして栄 え、どう衰えていったのか。本稿ではその歴史的考察をとおして、禁忌にみる前近代社会の構造変化を考えていきたい。なぜなら、ここでいう前近代社会の構造 変化を、私は日常的な関心から次のように考えているからである。

現代社会では、「森林伐採」「フロンガス」「ダイオキシン」などと、さかんに環境破壊が叫ばれている。こうした 環境問題を念頭に歴史を翻ってみると、古代から近世にかけての日本の構造は、迷信、俗信、祟りなどにあえぎながらも、自然を大切にする精神が揺るがない社 会だったと思える。その精神を、金神という禁忌観念に例えてみると、それがどう展開して現在そのなごりが見られるのかを究明することで、環境破壊の観念的 な発生装置を見つけることができるのではないだろうか、という私見である。

具体的には、まず、民間陰陽道史から金神の起源や歴史的広がりを整理し、金神信仰から派生した現金光教の成立過 程をたどる。次に、桂島宣弘著『思想史の十九世紀』 (4)桂島宣弘『思想史の十九世紀』(副題は、「他者」としての徳川幕府)、ぺりかん社、一九九九年。 を軸に金光教祖・赤沢文治研究の先行成果を探った後、文治が捉える天照皇大神を金神との差異から 論じることで、客観的に禁忌を考察していきたい。それは、「おかげ参り」などの社会現象に見られる江戸期の伊勢信仰を、公共の習俗とする観点から、徳川時 代の天照皇大神をも日本の公共心のシンボルと考えたためである。