まず同書には牛頭天王の縁起話が説かれ、陰陽道に かかわる神が次々に話の中で登場する。最初に王舎城大王、商貴帝が登場。そして、天刑星と同一の牛頭天王が主人公で、その妻になったのが頗梨采女。牛頭天 王と頗梨采女との間に生まれたのが八王子であった。牛頭天王と八王子が巨旦大王を滅ぼす話が、巻第一の序文として構成されている。この話は、金井氏の言う ように『備後国風土記』の蘇民将来・巨旦将来の話が基になっているようだが、そこにはまだ金神の名前は出ない。つまり金神は、『ホキ内伝』の縁起で初めて 巨旦に付会されたのだと言えよう。
続いて、「天道神方」「歳徳神方」「八将神方」「天徳神方」以下十三条の方角や日時の禁忌を記しているが、その うち五つの項目は、金神にかんするものである。その数で考えるだけでも、金神の忌みは特別な趣があろう。なお後半は、その他の日柄や方位にまつわる禁忌が 延々と記されるのみなので省略する。
同書はそのような内容であるが、ここで、金神にかんする一つの記載に注意をはらいたい。同書巻第一「金神七殺之方」項の末尾には、金神の祟り性を端的に著す次のような内容が載っている。
右金神者 巨旦大王精魂也。七魄遊行而殺戮南閻浮提諸衆生。故尤可厭者也。
(14)『続群書類従』巻第九百六雑部五十六「ホキ内伝」項(『続群書類従 第三十一輯上雑部』続群書類従完成會、一九二七年、三八一頁)引用。
意訳すると、「金神は巨旦大王の生きた魂である。七つの魂が世の中を行き来し、民衆を平気で殺戮するので必ず退 治しなければならない」。もともと別個の物語だった巨旦将来の話と、金神が重なり合う箇所である。牛頭天王に宿を断った魑魅魍魎・巨旦大王は、牛頭天王た ちに退治され、金神という浮遊神になったのである。だからその祟りは恐ろしい。また、中村氏は、底本だけでなくほかの抄本の記載を続群書類従本の相当する 箇所に補っているが、それに従えばこの箇所には次のような内容が続く。
若人雖向此方、則家内七人死。若無家内其敷、則隣家人加之者耶。是名風災。金收肺、具七魂、斷破萬物。故尤可厭者也。
(15)前掲中村『日本陰陽道書の研究』、二五四頁。
金神の方角を犯せば身内が七人殺され、数が足りなければ隣家にも祟りが及ぶ、と説かれている。こうしてこの大書は、金神の俗悪な祟りを強調していくのであった。
アングルを変えればそれはまた、ある前近代社会のひとつの構造を示しているとも言える。金神に象徴される祟り神 が、民衆の生活を抑圧しつつ、その恐れによって慎みを要求する世の中だったのだ。ところが、今に続く明治以降の近代には、金神の禁忌はほとんどみられな い。いったい何をもって、金神の禁忌は変転することになったのだろうか。
柴田實氏は、先の『ホキ内伝』中「金神七殺之方」の記述について、「このような陰陽道の方角・日時の吉凶思想 が、いかに前代において猛威を振るったかは、あらためて述べるまでもなかろう。それは今日においても、なお、十分に払拭されたとは言い難い。金光大神によ る金光教の立宗・開教のごときは、一にこのような金神七殺之方などの陰陽思想の超克にその根拠を置いたものであった」と述べている
(16)柴田實『御霊信仰』民衆宗教史叢書、一九八四年、一六七頁。
。
たしかに、金神は姿を消したわけではなかった。現代において、宗教団体と化して機能する金神には、大本と金光教 の二つがある。大本では金神による終末思想を説き、金光教では金神の禁忌を払拭して福神と説く。とくに金光教の立教は、幕末から維新期にかけてでもある。 次章からは、金光教祖・赤沢文治(一八一四―一八八三)の生涯をひとつの事例と定め、その研究から金神信仰の展開に注目していきたい。