前近代社会の構造は、土俗的要素が豊かであり、そ れは淫祠邪教視もされ、隠蔽されたものも多くある。だが、文治の金神に限らず、幕末期を生きた民衆には、土俗的要素の反照による「禁忌の転回」という社会 構造の変化があったのではなかろうか。少なくともそれは、国学とは別の思想であり、近代社会へのひとつの行程としてぴったり当てはまる。身体を払い清めれ ば罪が浄化される、というモラル観では、近代の地平をながめることすらできなかったであろう。勤勉、倹約、孝行などの通俗道徳の実践と、天皇や政府への敬 服を唱える社会の型。それが近代化であり、民衆が押し進めた思想である (39)安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』岩波書店、一九七四年。 。
こういう結びにしてしまうこと自体、桂島氏の示唆する近代の言説空間に、従属してしまうことなのかも知れない。だが、他の方法で他者を想定することは、どう可能なのだろうか。私には、自己認識のための他者も、他者たり得るものなのかさえわからない。
国家政府にのっかったつもりで我々一般大衆は、実は自らが近代化への方途を掴んできた。だが、いまさら森林伐採 を嘆き、復古的に森林へ禁忌を唱えてみても、前近代社会に有した自然への畏怖観念は、もうつかみどころがないのであろう。過去に否定したものをいま肯定し 直す、という構図は成り立たない。禁忌は否定されたのではなく、転回していったのだ。ゆえに二十一世紀への環境問題は、それ自体近代的思考に膠着されよ う。思想史の二十一世紀も、他者としてあらねばならないのだろうか。
ともあれ、字がようやく書けたばかりの常人・赤沢文治の自伝資料は、歴史的遺産として以下の典型的な問いを現代に投げかけてくれたように思える。祟り(戦慄や恐怖)とは、回避するのではなく対峙するものだったのだ。
平成十二年一月六日 脱稿
立命館大学2000年度卒業論文 安井寛之